プロフィール

小島綾香(こじま・あやか)

1988(昭和63)年10月6日生まれ、神奈川県出身
18歳で芸能界入りし、ファッションモデル、グラビアモデルとして活躍。
現在はデコ・アーティストとしてデザイン会社の経営者としての顔も持つ。

デボラ延寿(でぼら・えんじゅ)

1988(昭和63)年3月6日生まれ、ブラジル・サンパウロ出身
幼少時から色々なジャンルのダンスや歌を経験し12歳の時に和太鼓を始める。
グラフィックデザイナーとしても活躍。
2014年に歌手を目指す事を目的に来日。

プロデューサー中村泰士氏のコメント

初めに「きょうよりあしたが」、この作品のリメイクがありました。この作品はともすれば忘れがちな「昭和の家族」の決して特別ではない日常が目に浮かぶ作品なので、機会が有ればと思う中で小島綾香、デボラ延寿に出会い、ぜひこの子達でこの作品をフラットに表現させたい!それがきっかけになり、他に石原裕次郎さんに当時提供した作品も含めた企画を立てました。
何故女性デュオにしたかは、お聴き頂いたように、男性ボーカルだと届かないきめ細かな想いが表現出来るからです。その企画を進める中、テイチク、石原プロに許諾お願いに伺ったところ、今年が石原裕次郎さん生誕80周年に当たる事を知り、その企画イベントの参加する事になったのです。
《歌謡女子“じゅくぜん果実”》としてはとても荷は重いけれど、新人デビューには強いプロモーションにもつながる事を期待致しております。
歌謡女子、この言葉には私のこだわりが込められています。数々のジャンルが生まれては消えてゆく、これでは歌を大衆音楽を楽しんで頂いているユーザーに対して失礼だと思っていて、改めて、私の作品を歌唱して下さる女性ボーカルを今後“歌謡女子”と名付けるつもりでいます。
正直なところ、独りよがりもいい所で後何年、作品を提供出来るか分かりませんが、昭和の歌謡曲を手がけて来た一人の作詞作曲家として最後のプライドと感謝の気持ちを込めたネーミングです。
ユニット、《歌謡女子“じゅくぜん果実”》として二人はデビューしますが、小島綾香、デボラ延寿も近くオリジナル作品をリリースする予定で、その作品の傾向には関係なく、歌謡女子の小島綾香、歌謡女子のデボラ延寿として、頑張って活動出来るような環境をプロデュースしてまいります。

歌謡女子と中村泰士~歌謡曲へのたくらみ~

佐藤利明(オトナの歌謡曲プロデューサー)

昭和40年代から50年代にかけて、日本の音楽シーンは歌謡曲が牽引していた。ちあきなおみ「喝采」、桜田淳子「わたしの青い鳥」、いしだあゆみ「渚にて」、細川たかしの「北酒場」など“歌は世につれ、世は歌につれ”ていた。まるでリサイタルのクライマックスのような劇場型曲や、アイドルソング、親しみやすい酒場演歌など、様々なタイプの歌謡曲が巷に流れ、人々の愛唱歌となっていた。ここに挙げた時代を創った歌謡曲を手がけたのが、作曲家でプロデューサーの中村泰士。
「スター誕生」(NTV)の審査員として、阿久悠たちとともに、お茶の間にも親しまれ、幾多の歌手を育ててきた中村泰士が、21世紀の今、もう一度歌謡曲の魅力をと仕掛けたのが「歌謡女子 じゅくぜん果実」。
始まりは石原裕次郎のために昭和48(1973)年、中村泰士が作曲した「きょうよりあしたが」という楽曲だった。それまでムーディな大人の歌謡曲を歌い続けてきた石原裕次郎にとっても、歌謡曲ファンにとっても、それまでにないタイプの曲だったが、それゆえ、今は失われて久しい「昭和の家族」をテーマにした心温まる曲として、21世紀の今、もう一度プレゼンテーションしようと思いついたという。
曲そのものがまとっていた“時代の気分”や、“昭和の家族のありよう”などを、今を生きる若い世代にも伝えるために、現代風にアレンジするなどの奇をてらわずに「フラットに歌って欲しい」との思いから、中村泰士は「きょうよりあしたが」を二人の女性に託すことにした。
男性歌手ではなく女性デュオ。それが中村泰士の企みでもある。しかも二人は石原裕次郎が逝去した翌年、昭和63(1988)年に生まれた“昭和の最終コーナー”世代。
デザイナーとして実業家の顔を持つ小島綾香も、日系ブラジル3世のデボラ延寿の二人とも、リアルタイムで昭和の歌謡曲世代ではない。しかし、小島綾香は、母が松田聖子を始めとする80年代アイドル世代で、幼い頃から母を通して、80年代歌謡曲に親しんできた。デボラ延寿は、ブラジルで日本人の祖母が好きな演歌のこころにふれてきた。でもいわゆる歌謡曲マニアではない。それゆえ、中村泰士の「フラットに表現させたい」という狙いにはぴったり。
二人の素直な歌声を聴いていると、初めて「きょうよりあしたが」の譜面と歌詞を手にした石原裕次郎が感じた感動が伝わってくる。その素直さは、曲そのものの持つ魅力を十二分に伝えてくれる。
小島綾香とデボラ延寿はユニットであるが、それぞれがソロでも活躍してゆくとのこと。歌謡女子はデュオを指すことばでなく、彼女たちのスタイルなのである。
平成に入り、昭和歌謡という言葉が生まれ、過ぎし日を思うノスタルジーや、遅れてきた若い世代のマニアックな趣味というニュアンスで定着してきた。また、今、現役の歌謡曲や演歌は、カラオケで歌われることがヒットのバロメーターとなっている。しかし、かつて“歌謡曲”という言葉は、もっと別な意味を持っていた。街角で流れるレコードの音、ラジオから流れる新曲を、人々は耳とこころで覚えて、口ずさむ。そうして流行し、時代を象徴する曲が次々と生まれていた。
中村泰士が命名した“歌謡女子”は、歌本来の持つ魅力やこころを、大衆にそのまま伝える、いわば歌謡曲の伝達者であり、巫女ともいえる。歌のバックボーンは知らなくても、その曲が纏っている様々なニュアンスをフラットに伝えてくれる。
そういう意味では“歌謡女子”の存在は、歌を伝える新たな“メディア”なのかもしれない。昭和30年代の「歌声喫茶」、昭和40年代の「フォークジャンボリー」、昭和50年代の「カラオケブーム」など、これまでも、様々なかたちの歌のブームがあった。それが、それぞれの時代のメディア的な役割を果たしたとすれば、歌のこころをフラットに伝える“歌謡女子”も“メディア”なのである。
歌謡女子 じゅくぜん果実の素直な歌声には、中村泰士のそんな思いが込められている。